第5回 山本益博さん(後編)
前回に引き続き、山本益博さんのお話を伺います。マスヒロさんは料理評論家ですが、料理評論家の仕事を始めたきっかけは何だったのでしょうか?
お仕事のきっかけ
「好きこそものの上手なれ」といいます。ソムリエの方も、ワインが好きで、そういう人こそ良いソムリエになることが多いのかもしれません。「食べることが好きだから、これを仕事にできないかなと思った」と言うマスヒロさん。
そのためには何をしたらいいのか?を考えていたそうです。
1972年、出版されたばかりの辻静雄の『パリの料亭』を駿河台下の三省堂書店で手に取ったマスヒロさんは、何度も何度も読んで、ほぼ暗記したといいます。
「その日の夕方、私はひとりでレストラン・ラセールの隅のほうに席をとってもらい、うららかな初夏の星空を眺めながら、サン・ルイのグラスにボージョレをついで、ちびりちびりとやっていました。もうすぐボーイさんがもってきてくれる鴨のオレンジ煮を心待ちにしながら、ついさっき食べ終えたウナギのパテの、シャブリとよく合うのに満足して、すっかりいい気持ちになっていたのです。(『パリの料亭』辻静雄 より抜粋)」
冒頭数行の文章に引きつけられ、
「サン・ルイのグラスって何?ボージョレって何?」という疑問と共に、「この本に書かれていることと同じ経験をしたい」、「フランスに行きたい」と強く思ったそうです。
学生の時には落語に夢中だったマスヒロさんは、ご自身の卒業論文で桂文楽を取り上げています。しかし4年生のときに桂文楽が他界し、落語にまったく興味を無くしてしまいました。
そのころ家族は北海道に転居しており、自分は東京の大学なので、東京で下宿をすることになりました。学生アルバイトとして道玄坂のガソリンスタンドで働いていた時のこと。お昼になると社員は店屋物を取るのですが、自分は学生でお金が無い。そこで、そこにあった電気釜を貸してもらい、自分でカレーライスを作ったり、鯵の開きを焼いてお昼にしていました。すると、お金を出すから、電気釜飯の仲間に入れてほしいとみんなが言い出し、しまいには所長までが「仕事を早く切り上げていいから、食材を買って来い」と言い出したのです。
それからマスヒロさんは、ガソリンスタンドのみんなのご飯を作ることになりました。ハンバーグの時に即席でソースを作ったところ、なにか面白くないな…と思いました。「ソースを作ったら面白いかも!」と思い、道玄坂の本屋で見つけた婦人画報社から出版されているソースの本を開いてみました。
「ソース・エスパニョール、これだ!」と、早速下宿先の台所でソースを作り、タッパウェアに入れてアルバイト先に持って行きました。
「どこで買ってきたソースだ?」と聞かれ、自分で作ったのだと答えると、皆が絶賛したのだそうです。
ソースの本は誰が著者だろうと、改めて見てみると、あの“辻 静雄”とあるのです。
巻末には辻静雄と、ホテルオークラ総料理長の小野正吉とのフランス料理の歴史についての対談がありました。フランス料理家の巨匠オーギュスト・エスコフィエをはじめ、フランス料理の歴史が綴られており、それが「とても面白かった」のですって。
マスヒロさんは思いました。「どれだけ食べること、作ることが好きでも、料理を10代からやっている人にはかなわない。職人仕事は体で覚えるものだから…」と。1972年にこれらの本に出会い、フランス料理に興味を持ったマスヒロさんですが、「既に遅いと思った」と言い、「作ることで職人になれないのであれば、食べることで職人になれないか?」と思い始めます。
料理評論家の仕事
お金を貯めて行ったフランス。当時、料理を作る勉強に出かける人はいても、食べる為にのみ行くという人はなかなかいなかったのではないでしょうか。
「フランスに行ってみて、よし!10年がかりでフランス全土を廻ろうと決めました。10年廻ってなにか仕事にならないだろうか?と考えた時、いつも目の前に立ちはだかるのは辻静雄でした。組織も財力もすべてかなわない。そこで考えました。辻静雄ができないことは何かと」。
辻静雄には大勢の生徒がいました。自分の生徒が出す店の批評をすることは考えられないだろう、といった消去法で生まれたのが、日本で初めて味をランキング方式にした『グルマン』です。
「おそらく日本で一番フランス料理を食べて来た一人じゃないかと思います。4,000食ぐらい食べたでしょうか。『グルマン』を書いていた頃は、人間フォアグラのようになっていました。
ガイドを創っている時は壮絶でした。
『取材で来たのか?プライベートで来たのか?』、『書いたものを訂正すると言うまで帰さない』と、監禁状態のこともありました(笑)。今はノルマで食べることはなくなり、30年以来の健康を取り戻しています(笑)。
『なに若造が』、とさんざん叩かれましたし、いまだに叩かれています(笑)
。でも、町のレストランは『いいガイドブックが出版された』と喜んでくれました」。
「出版当時、フランス料理と言えばホテルのフランス料理ばかりが取り上げられ、ホテル以外の店としては“ロオジエ”が一番トップと言われていました。当時のロオジエの社長がこの本を見て、とてもショックを受けたそうです。というのも、街の小さなレストランが詳細に取材されていて、ホテルのレストランは一軒も載っていない。そして、そのロオジエも、一番最後に批評もなしで店名が載っていただけなのですから。社長はその晩は眠れなかったそうです。
それからロオジエの大改革が始まり、銀座八丁目のビルの上から銀座の今の場所に移ってきました。この本がなかったら今のロオジエはなかったと思います。僕は別に今の状況に一撃を加えるなんてことは思いませんでしたけれど…。むしろ、レストランのシェフは常にずっと勉強しているのに、お客さんも勉強しないと進歩しないと思ったのです。お客さんが勉強して、初めてレストランも向上するのです。レストランがどういう反応をするかは二の次だったのです。
食べる人に頑張ってほしい。いつも行きつけの店から見ていくのでなく、その近くにある情報を見て、『こんなお店があるのか!』という感じで、ぱっと光が輝くようになればいいなと思ったのです」。
「これは日本のワインを造っている人によって書かれた、初めてのワインの本だと思います。ソムリエがワインを評価することがあっても、ワイナリーの人が発言する本はなかなかありませんでした。この本を読んでいるうちに面白くなり、興味を持ちました。しかし、この人たちは料理のことを考えてワインを造っているのだろうかと、疑問を持ちました。世界のコンクールで優勝することを狙ったワインを造っているだけでは、ワインだけが独立して走ってしまうことになります。そこで、『和食で和飲(ワイン)』をテーマにして、人を集めることにしました。ワイナリーの方を囲んで、造り手の情熱を語っていただきます。それから毎日家で食べる食事を頭に浮かべながら、ワインナリーの人にも一緒にワインと食事のマリアージュを経験していただくのです」。
海外から安くて美味しいワインが輸入される昨今、日本のワインはどうしても太刀打ちできず、消費量が伸び悩んでいます。
「日本のワインがこれから頑張っていくには、1,000円を超えないぐらいのリーズナブルで、毎日飲んでも飽きないワインを造っていくことです」と言うマスヒロさん。
現在の焼酎ブームなど、お酒の流行は10年サイクルで変わります。
日本の同じ土壌からできる農産物と日本のワイン、食事とワインが合わない訳がありません。
毎晩晩酌するときに、日本のワインが食卓に並ぶ日を夢見て、そういうワインを造ってほしいと、日本ワインにエールを送るマスヒロさん。是非日本のソムリエの方々とともに、日本のワインを伝道してほしいです。私も消費者として、日本の食材と日本のワインを改めて見つめ直したいと思いました。
お酒として、歴史が長く、世界中で造られているのはワインしかありません。
超一級品はもちろん良いですが、1本1,000円のワインも一生懸命愛でようと思っているというマスヒロさん。
「ワインの魅力にとりつかれている人には、料理と食事の中にワインがどう位置づけられるか、考えてほしいですし、料理と一緒に飲んで美味しいというワインを、大切にしていってほしいですね。
また、ワインの初心者には、高級ワインといわれるのがなぜ美味しいかを、誰かと一緒に飲む経験をされて知ってほしいです」。
ぽち袋
ワインの山を再び登っているマスヒロさんは、外食の際、ソムリエには「食事を邪魔しない手頃なワイン」を頼むそうです。
「合う料理」「合うワイン」というのはいくつでも出てきますし、天井知らずです。
だからあえて「邪魔しない」というのだそうです。
うれしいサービスを受けた時、お店の方に渡す“ぽち袋”を常に手帳に入れて持ち歩いているマスヒロさん。白い和紙の袋で、一つは白い鯛が浮き彫りになっており、もう一つは赤い鯛が浮き彫りになっています。右上に「又来鯛(また来たい)」、その下に「益博」という文字が黒ペンで書かれ、白い鯛の袋には沖縄サミット開催を記念して発行された2,000円札が、赤い鯛には5,000円札が三つ折りにして入っています。
「僕がソムリエに『食事を邪魔しないワインをお願いします』と注文すると、ソムリエは色々考えてくれます。ある時も、とても美味しいワインを出してくれたので、お値段を聞いてみると8,000円のワインだと言います。リーズナブルで、しかも食事と合って、とても美味しいワインだったので、この“ぽち袋”をソムリエに渡しました。彼の心遣いに対する、僕の気持ちなのです」。
日本はサービスに対して対価を払うことをしません。いいサービスを受けたいと願うのであれば、まずお客がサービスに対して、評価をしてあげなくてはいけません。それがマスヒロさんの“ぽち袋”のようです。
マスヒロさんの“ぽち袋”に習って、何人かの方々が同じようにして気持ちを表したデザインの“ぽち袋”を持ち始めているようです。
私もいつか、そういうちょっと素敵な“評価の表現”をできるようになりたいと思いました。
「レストラン側のサービスは、お客の全てをよく見て、お客の話をよく聞き、自分からはしゃべらないことがスマートです。
日本では、女性がワインを選んでいることがありますが、ワインを知っている女性なら特に、全てを知り、全てを味わいながら、つつましやかに『美味しいワインですね』というのがエレガントだと思います」とのこと。エレガントにワインを楽しめるよう、心がけたいものですね。
“Convivialite”
最後に、ワインを美味しくいただくにはどのようなことを心がけていらっしゃるのかを訊ねました。
「日本の悪い点は、席に着いてもホストになる人がなく、全員がゲストになってしまうことです。レストランの入り口をくぐるまでは、お客のみんながゲストですが、いったん席に着いたら、必ず一人はホストになります。男性はもてなす側、女性はもてなされる側になります。もてなす側ともてなされる側になってコミュニケーションをするからこそ、美味しいものを愉しくいただくことができます」。
フランス語で“Convivialite”(コンビビアリテ=フランス語で『親しみ』)というのがまさにこのことだと、メッセージをいただきました。
「飲んで、食べて、おしゃべりしてこそ食卓は楽しい」
私も『一緒に食事をして楽しい人』になりたいなと、マスヒロさんの楽しいお話を伺って、強く思いました。
プロフィール |
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料理評論家 山本益博さん(東京都出身、早稲田大学卒) ・1948(昭和23)年に、東京の下町、浅草・永住町(現在の台東区元浅草)に生まれる。 |
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